これを知ったとき、妙に腑に落ちた

各予言者のデータをひたすら追いかけていて、あるとき気づいたことがある。有名になった後の予言者の言葉が、どこか薄くなっている気がする、ということだ。具体性が落ちて、どこかで聞いたような話になっていく。シルビア・ブラウンの後期の発言、エドガー・ケイシーの晩年の述懐……なんとなく似たような現象が起きている。

なぜだろうと考えていたとき、「そもそも無名時代に当たっていたという記録がない」という事実に行き当たった。当然の話だが、無名の予言者が外れた予言を記録している人間はいない。有名になった瞬間から記録・検証・批判にさらされる。「昔は当たっていたのに」という印象は、記録の密度が変わっただけの話かもしれない。これを知ったとき、少し呆然とした。

失うものができると、予言が変わる

もうひとつ面白いと思ったのが「予言の保守化」だ。無名時代は失うものがないから大胆な予言ができる。でも名声を得ると、外れれば批判され、信頼が傷つき、収入が減る。そのリスクを避けるために、予言はどんどん曖昧になっていく。

「近い将来、大きな変化が訪れるでしょう」「大切な人との別れがあるかもしれません」——こういう予言は外れることがない。何も言っていないに等しいが、傷つくこともない。エドガー・ケイシーが後期にアトランティスや地軸変動といった壮大で検証不能なテーマを語るようになったのも、同じ動機かもしれないと私は思っている。信者が求める「偉大なビジョン」に応えていく形で、予言の性格が変わっていった。

コインを10回表が出た人が有名になる

統計的に考えると、さらに面白いことが見えてくる。予言者コミュニティに100人いたとして、誰かが偶然に大きな出来事を「的中」させることは十分ありえる。その1人だけがメディアに取り上げられ、残りの99人は誰にも知られない。その後の予言が「平均的な外れ率」に戻るのは統計的に当然の話だ。

コインを10回連続で表が出た人間が「コイン投げの天才」として注目されるようなものだ。この話を最初に聞いたとき、笑ってしまったが、予言の世界で起きていることはまさにこれだと思う。

予言者は消えないし、私も見続ける

こうした仕組みを全部理解した上でも、予言者への需要は消えないし、私自身も予言に興味を持ち続けている。それが不思議でもあり、正直なところでもある。未来が見えないからこそ、見えると言う人に引き寄せられる——それは人間の根本的な性質なのだと思う。だから全否定したいわけでも、盲信したいわけでもない。仕組みを知りながら、それでも向き合い続けることが、このサイトでやりたいことだ。