経歴・人物
創世記のエノク
エノクは『創世記』5章に登場する人物で、ノアの曾祖父にあたる。系図に並ぶ他の族長が「〜年生きて死んだ」と記されるなかで、エノクだけは「365年を生き、神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」(創世記5章24節)と書かれる。死んだとは書かれていないこの一文が、「エノクは生きたまま天に上げられた」という解釈を生み、後世に膨大な伝承を派生させることになった。
エノク書の成立
この「天に上げられた人物」に仮託して書かれたのが『第1エノク書(エチオピア語エノク書)』である。実際の成立は紀元前3〜2世紀頃と考えられ、単一の著者による作品ではなく、「監視者の書」「天体の書」「たとえの書」など複数の文書が長い時間をかけて編纂された文書群だ。内容は、エノクが天使に導かれて天界を旅し、宇宙の構造と世界の終わりを見せられるという黙示文学の形式をとる。
なぜ「失われた書」となったか
初期キリスト教ではエノク書は広く読まれ、新約聖書『ユダの手紙』14〜15節はエノク書1章9節をほぼそのまま引用している。にもかかわらず、正典が確定していく過程でこの書は外され、西方教会では中世以降ほぼ忘れ去られた。完全な写本が近代ヨーロッパに再発見されたのは18世紀、エチオピア正教会に伝わっていたゲエズ語(エチオピア語)写本を通じてのことである。エチオピア正教会は現在もエノク書を正典の一部としている。
評価
本サイトはエノクを実在の預言者としてではなく、「エノク書という文書に帰せられた伝承上の預言者」として記録する。エノク書の記述は特定の年月日を指す予言ではなく、堕落と審判という終末論的世界観の表明であり、検証可能な予言というより、後世の終末思想の源流として文化史的に重要なテキストである。堕天使・ネフィリム・禁じられた知識というモチーフは、現代の古代宇宙飛行士説やAIをめぐる不安の語り口にまで受け継がれている。
収録予言(2件)
本サイトに記録した預言者エノク(伝承)の予言を、成就状況の判定・原文・検証つきで掲載しています。
堕天使とネフィリムの堕落がもたらす大洪水と最後の審判
不明天から降った監視者(グリゴリ)と人間の娘との間に生まれた巨人ネフィリムが地上を暴虐で満たし、その堕落を裁くために大洪水が下されるとエノクは告げる。さらに終末には選ばれた者が救われ、堕天使と悪しき者が永遠の火で断罪される「最後の審判」が来ると預言する。旧約聖書外典であり、ユダヤ・キリスト教の終末論に深い影響を残したとされる。
見よ、彼は幾万の聖なる者を率いて来られる。すべての者に裁きを行い、すべて不敬虔なる者を滅ぼすために。(第1エノク書1章9節) ──(原語:ゲエズ語(エチオピア語)/原初形はアラム語・ヘブライ語)
出典:第1エノク書(エチオピア語エノク書)「監視者の書」1〜36章
- 関根正雄ほか訳「聖書外典偽典 旧約偽典」教文館
- R.H.Charles "The Book of Enoch" 1917
監視者アザゼルが人類に禁じられた知識を教える
不明200人の監視者(天使)が地上に降り、指導者アザゼルは剣・武器・盾の作り方を、他の天使たちは呪術・薬草・占星術・天体の運行・化粧などの「天上の秘密」を人間に教えたと記される。この禁じられた知識の伝授が地上に暴力と堕落を広げ、洪水による裁きの原因になったとされる。「禁断の知識」というモチーフの古層をなすテキスト。
アザゼルは人間に、剣と刀と盾と胸当ての作り方を教え……天上の秘密を明かした。(第1エノク書8章1節・要約) ──(原語:ゲエズ語(エチオピア語)/原初形はアラム語・ヘブライ語)
出典:第1エノク書「監視者の書」6〜8章
- 関根正雄ほか訳「聖書外典偽典 旧約偽典」教文館
- R.H.Charles "The Book of Enoch" 1917
参考文献・出典
- 関根正雄ほか訳『聖書外典偽典 旧約偽典』教文館
- R.H.Charles "The Book of Enoch" 1917年
- 旧約聖書『創世記』5章18〜24節