経歴・人物
生涯——アイルランド教会の改革者
マラキ(マエル・マエドホーク・オーモルゲア)は1094年頃、アイルランドのアーマーで生まれた。若くして聖職者となり、カンタベリー大主教アンセルムスや改革派神学者ベルナルドゥス・クレルヴォーから強い影響を受けた。
1123年にダウン司教、1132年にはアーマー大司教に就任。当時のアイルランド教会は独自の慣習・利権が強く、ローマとの同一化が遅れていた。マラキはこれをローマ・カトリックの標準的慣行に改革することに尽力し、シノドス(教会会議)を開催してグレゴリウス改革を推進した。1139年に教皇インノケンティウス2世に謁見するためローマを訪れた際、教皇座を継ぐ者たちのビジョンを見たとされる(この謁見自体は史実)。1148年、旅の途上でクレルヴォー修道院に立ち寄り死去。友人ベルナルドゥスに看取られた。
教皇予言リストとは何か
「聖マラキの預言(Prophetia Sancti Malachiae)」は、112人の歴代教皇のそれぞれを2〜4語のラテン語フレーズで表したリストである。最初の教皇セレスティヌス2世(1143年)から始まり、「最後の教皇」ペトロ・ロマーノ(Petrus Romanus)で終わる。フレーズの例として、インノケンティウス3世は「Comes signatus(刻印された伯爵)」、ヨハネ・パウロ2世は「De labore Solis(太陽の労苦より)」とされ、後者はポーランドの日蝕の日と重ねて解釈された。2013年に就任したフランシスコ教皇がリストの最後から2番目「Petrus Romanus」に当たるとも言われる。
偽作説——1590年代の政治的文書
この文書が初めて登場するのは1595年、アルノルド・ウィオンの著書『リグヌム・ヴィタエ』に掲載された時点であり、それ以前の一次資料には存在しない。過去の教皇(1143〜1590年)については非常に巧妙に当てはまるフレーズが付されているが、1590年代以降の教皇については著しく曖昧になる。これは「1590年の教皇選出前に書かれた偽作」であることを示す強力な証拠とされる。学術的通説では、1590年のコンクラーヴェ(教皇選挙)での特定候補を教皇に押し立てる政治的目的で作られた偽文書と結論付けている。
主な予言・功績
- 聖マラキの预言(112人の教皇リスト)
- アイルランド教会改革
- 最後の教皇「ペトロ・ロマーノ」
参考文献・出典
- Thomas Frain「The Last Pope」
- Arnold Wion「Lignum Vitae」1595年(初公刊)