銀行が潰れると信じた人々が、銀行を潰した

1930年代のアメリカで、「あの銀行は危ない」という噂が広まった。根拠は薄かった。でも噂を聞いた預金者が一斉に引き出しに走り、結果として本当に銀行は倒産した。噂が現実を作ったのだ。

社会学者ロバート・マートンはこれを「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)」と名付けた。「最初は誤った状況の定義が、新しい行動を引き起こし、その誤った定義を真実にする」——という構造だ。1948年のことで、当時は主に経済現象の説明に使われていたが、考えていくと予言の世界にも同じ構造が何度も登場することに気づく。

ただし私がこの概念を予言に当てはめるとき、少し慎重になる必要があると感じる。銀行取り付け騒ぎの場合、因果関係は明確だ。では宗教的な終末予言が「的中」したとき、同じことが言えるのか。そこは単純ではない。

予言が人を動かした、いくつかの例

1978年のジョーンズタウン。ジム・ジョーンズは「我々は迫害される」と繰り返し説き、信者を外部から遮断し、最終的に900人以上が集団死した。ジョーンズの「予言」は、自らそれを実現する方向に信者の行動を誘導した。これは自己成就の極端な例だが、規模が小さければ同じ構造は日常の中にも潜んでいる。

もっと穏やかな例もある。「来月株が上がる」という著名アナリストの発言が広まり、多くの人が買いに走り、本当に上がる。予言が観測対象に影響を与える、物理学でいう「測定問題」に似た現象だ。予言者が強い影響力を持つほど、この効果は大きくなる。

ノストラダムスが1999年に「恐怖の大王が来る」と書いたことで、1999年前後に多くの人が終末を意識し、カルト的行動に走ったケースが世界各地で記録されている。これを「予言の的中」と呼ぶのは違う気がするが、「予言が現実に影響を与えた」という意味では確かな事例だ。

外れるべき予言が、外れた理由

外れるべき予言が外れた理由

逆のパターンもある。予言を知ったことで対策が生まれ、予言が「外れる」ケースだ。

Y2K問題はその典型だろう。「2000年になるとコンピュータが誤作動し、社会インフラが崩壊する」という「予言」(実際には技術的な警告だったが)が広まり、世界中でシステム改修が行われた。結果として、大きな混乱は起きなかった。「外れた」のではなく、「外れさせた」のだ。

環境問題における予言も似た構造を持つ可能性がある。「このまま温暖化が進めば2050年に〇〇が起きる」という予測が広まることで、人間が対策を取り、最終的にその予測通りにはならない——というシナリオは十分ありえる。これは予言の失敗ではなく、予言の成功と言うべきかもしれない。

ただし、この「自己否定的予言」の構造は、予言を評価するうえで厄介な問題を生む。「外れた」のか「外れさせた」のかが、後から判断できないからだ。ノストラダムスの1999年の予言が何も起きなかったとき、「当初から的外れだった」のか「人々の警戒が何かを防いだ」のか、証明する方法はない。

「信じる」ことが持つ双方向の力

このサイトで予言を集めていると、ときどき不思議な感覚になる。予言を信じた人間の行動が、予言の現実を左右するなら、「予言の的中率」は何を測っているのか。予言者の洞察力なのか、それとも予言が社会に与えた影響力なのか。

たとえば「戦争が来る」という予言が広まり、各国が軍備を増強して緊張が高まれば、それは予言が的中したのか。あるいは、「戦争が来る」という予言が広まり、人々が平和運動に動き、外交が進んで戦争が回避されれば、それは予言が外れたのか。

どちらの方向に動くかは、予言そのものの内容ではなく、それを受け取った社会の文脈と、受け手がどう解釈して行動するかによる。予言は未来の地図ではなく、未来への問いかけに近いのかもしれない。問いかけに対して、人間がどう答えるかで、地図は書き換わる。

それが良いことかどうかは、正直よくわからない。でも少なくとも、「予言が当たった」という話を聞いたときに、「誰かがそれを当てにいったのではないか」という問いを頭の片隅に置いておくことは、無駄ではないと思っている。