経歴・人物
農民から「神の人」へ
グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンは1869年、シベリアのトボリスク県ポクロフスコエという小村で馭者の子として生まれた。若い頃から奇行・夢見・巡礼で知られ、修道院での一時的な修行を経て「神の人(starets)」として各地を旅するようになった。スタレツとはロシア正教の文脈で霊的に特別な力を持つ長老・宗教者を意味する。
ラスプーチンが帰依していた思想的背景についてはいくつかの説がある。一説には「フリスティ(кхлысты)」と呼ばれる秘密宗教的クリスチャン宗派——「罪を犯してから悔悛することが神の恩寵をより深く体験できる」という逆説的教義を持つ——に影響を受けたとされるが、ラスプーチン自身はこれを否定した。
宮廷への浸透と皇太子の「治療」
1905年頃にサンクトペテルブルクに出て宗教的サークルに入り込み、貴族・上流社会の女性たちの間で評判を広めた。1907年、皇太子アレクセイが血友病(凝固因子欠損症)の発作で生死の境をさまよった際、ラスプーチンの祈りと「治療」によって症状が劇的に改善したとされ、皇后アレクサンドラの絶大な信頼を獲得した。アスピリンの服用中止が改善の実際の原因だったという説が現在有力である。
政治介入と暗殺
第一次世界大戦中に皇帝ニコライ2世が前線に出向くと、ラスプーチンは皇后とともに内政に影響力を持った。大臣の任免・人事に口を出し、「ロシアを滅ぼす妖怪」として貴族・議会から強い反感を買った。1916年12月30日(ユリウス暦)、ユスポフ公フェリックスら貴族グループによって暗殺された。青酸カリを盛られ、撃たれ、氷河に投げ込まれたという劇的な暗殺譚は有名だが、毒が効かなかったという部分など誇張が含まれる可能性が高い。
事前に書いたとされる遺書には「貴族に殺されるなら皇帝も6ヶ月以内に死ぬ」と記されており、翌1917年の二月革命とロマノフ一家の処刑(1918年)によって「成就」したとされる。
主な予言・功績
- ロマノフ家への影響
- 不思議な暗殺(1916年)
- 遺書の予言とロマノフ家の滅亡
参考文献・出典
- Edvard Radzinsky「Rasputin: The Last Word」
- Douglas Smith「Rasputin」