経歴・人物
【イザヤ】紀元前8世紀のユダ王国で活動した预言者。ウジヤ・ヨタム・アハズ・ヒゼキヤという4人のユダ王の治世(紀元前740〜681年頃)に预言した。エルサレムの上流階級に属し、神殿での召命体験(イザヤ書6章の有名なセラフィムのビジョン)を契機に活動を開始。バビロンの滅亡・ペルシアのキュロス王の登場(名指しで)・「苦難のしもべ」の歌など、後世に最も影響を与えた预言を残した。学術的には1〜39章を書いた「第一イザヤ」と、バビロン捕囚期に書かれた40〜66章の「第二・第三イザヤ」の複数著者説が有力。
【エレミヤ】紀元前7世紀末〜6世紀初頭に活動した預言者。神官アニキアムの子。ヨシヤ王13年(紀元前626年)に预言者として召命を受け、エルサレムで活動した。バビロニアの台頭とユダ王国の滅亡、バビロン捕囚を预言し、抵抗運動を戒めたため「売国奴」と批判された。ネブカドネザル2世のエルサレム包囲・破壊(紀元前586年)を生き延びたが、後にエジプトへ連行され、そこで亡くなったとされる。嘆き節的な祈り(「エレミヤの嘆き」)で「嘆きの預言者」とも呼ばれる。
死海文書が証明したもの、しなかったもの
この二人を予言者として評価するうえで避けて通れないのが、1947年に死海西岸のクムラン洞窟で発見された「死海文書」である。とりわけ第1洞窟から出土した「大イザヤ書写本(1QIsaᵃ)」は、イザヤ書66章のほぼ全文を含む紀元前2世紀の巻物であり、それまで現存最古とされたマソラ本文の写本より約1000年古い。
比較の結果は驚くべきものだった。1000年の隔たりがあるにもかかわらず、本文の内容はほぼ一致していたのである。これは聖書テキストが極めて正確に書き写されてきたことを実証した、写本学上の大発見だった。
ただし、ここは慎重に区別しなければならない。死海文書が証明したのは「テキストが後世に改変されていないこと」であって、「預言が的中したこと」ではない。たとえばイザヤ書45章がペルシア王キュロスを名指しする有名な箇所について、死海文書は「その記述が紀元前2世紀には既に存在した」ことを示すが、「キュロスの登場(紀元前539年)より前に書かれた」ことまでは証明しない。学術的には、この部分は捕囚期以降に書かれた「第二イザヤ」に属するとする複数著者説が有力であり、事後の記述である可能性が残る。
本サイトの評価
イザヤとエレミヤの言葉は、本サイトが扱う「未来を当てる予言」とは性質が異なる。彼らの語りの中心は日付や事件の予測ではなく、社会の不正を告発し、共同体に悔い改めを迫る倫理的な警告だった。エレミヤがバビロンへの服従を説いて売国奴と罵られたのは、彼が未来を当てようとしたからではなく、聞きたくない現実を突きつけたからである。
本サイトはこの二人を、「預言者」という語がもともと何を意味していたかを示す基準点として収録する。predict(予測する)ではなく proclaim(告げ知らせる)——後世の予言文化が失っていったこの側面を確認するために、記録しておく価値がある。
収録予言(1件)
本サイトに記録したイザヤ、エレミヤの予言を、成就状況の判定・原文・検証つきで掲載しています。
バビロン滅亡の预言
成就イザヤとエレミヤがバビロン帝国の滅亡を数十年〜百数十年前に預言したとされる。紀元前539年にペルシアのキュロス大王がバビロンを陥落させたことで成就と見なされる。キュロスの名前さえ預言に登場するという注目の記述がある。
「見よ、わたしはキュロスに言う。彼は私の牧者。わたしの望みをすべて成就させる。」(イザヤ44:28) ──(原語:ヘブライ語)
出典:イザヤ書 13章 / エレミヤ書 50〜51章
- 旧約聖書 イザヤ書・エレミヤ書
- バビロン陥落の考古学的証拠(キュロス筒形碑文)
参考文献・出典
- 旧約聖書 イザヤ書・エレミヤ書
- Joseph Blenkinsopp「Isaiah」Commentary