15年語り継がれている書き込み
2010年11月14日、2ちゃんねるのオカルト板に一つのスレッドが立った。名乗ったのは「2062年から来た」という人物である。以後、2010年11月から12月、2011年7月、2012年12月と断続的に現れ、住人の質問に答え続けた。
この人物が有名になったのは、最初の登場から4か月後の出来事による。ただし、残されていたのは文章ではなかった。意味の取れない文字列である。
yあ 間 N意 埜 b於 ㋹
2011年3月11日、東日本大震災。その後この文字列が「山に登れ」と解読され、津波から逃れる唯一の方法を告げていたとして広まった。以来15年、日本の掲示板発の予言では最も知られた事例であり続けている。
この一行に、この件の問題がすべて含まれている。解読されたのは、震災の後である。
本サイトはこの人物の発言を予言者データベースに8件収録している。今回、そのうち1件に明確な記述の誤りが見つかったため、検証と訂正を行う。
匿名掲示板に固有の、二つの壁
先に、この種の題材を検証するときに必ず立ちはだかる問題を書いておく。
壁① いつ書かれたか 予言が成立するには、出来事より前に書かれている必要がある。だが掲示板の書き込みは、後から作られたスクリーンショットと区別がつかない。
壁② 誰が書いたか 掲示板にはトリップと呼ばれる簡易な本人証明の仕組みがあり、この人物も使っていた。しかしトリップは元になる文字列を知っていれば誰でも名乗れる。同一性を保証するものではない。
この二つは、下北沢タイムスリップ事件を検証したときの「記録と突き合わせる」という手法が、そのままでは使えないことを意味する。突き合わせる相手の記録自体が、改変されうるからだ。
それを踏まえたうえで、確認できる部分だけを見ていく。
2016年4月15日——予告されていたのは何か
2016年、この人物の的中を決定的にしたとされる出来事が起きた。まず時系列を並べる。
2010年11月16日 別の投稿で「今回の任務が完了したら2016年4月15日へ行く。」と述べる(こちらは暗号ではなく平文)
2016年4月14日 21:26 熊本地震・前震 M6.5 最大震度7
2016年4月15日 予告どおり掲示板に登場
2016年4月16日 1:25 熊本地震・本震 M7.3
ここで確認したいのは一点だけである。予告されたのは、地震の日付ではない。本人が再登場する日付である。5年半前の書き込みの末尾に添えられた、自分の予定である。
この違いは決定的だ。「4月15日に大地震が起きる」と予告して的中したのなら、それは驚くべき事例になる。しかし実際に予告されたのは自分の行動予定であり、そこに災害の予測は含まれていない。
そして4月15日当日に、大きな地震は起きていない。前震は前日の夜、本震は翌日の未明である。予告日は、二つの揺れのちょうど間に挟まっていた。
にもかかわらず、この一件は「熊本地震を予言した」として広まった。予告の中身が、事後にすり替わっている。
本サイトの記述も誤っていた
この点について、本サイトは批判する側に立てない。データベースに収録していた項目名はこうだった。
2016年4月15日の大地震の予告 [判定:部分的]
これは事実と異なる。 予告されたのは登場日であり、大地震の予告という記述自体が成立しない。判定以前に、記録の中身が間違っていた。
本記事の公開にあわせて、該当項目の記述を訂正する。すり替わった言説を、検証する側が確認せずに取り込んでいた——という事例として、あわせて記録しておく。
次の予告はどうなったか
4月15日に登場した人物は、質問攻めにあったのち「次は5月17日」と述べた。南海トラフ地震に言及していたことから、ネット上ではその日に巨大地震が来るという噂が広がった。
結果を書く。2016年5月17日に、南海トラフ地震は起きていない。 前日の16日に茨城県で最大震度5弱の地震があったが、これは南海トラフとは無関係の地震である。
ここに非対称がある。4月の一件は「当たった」として15年語り継がれ、5月の一件はほとんど語られない。同じ人物の、同じ形式の予告なのに、記憶に残る方だけが選ばれている。
本サイトは確証バイアスの記事でこの仕組みを扱った。当たったものを数え、外れたものを数えないなら、どんな予言でも的中率は上がる。
そもそも同じ人物だったのか
さらに厄介な問題がある。2016年4月15日に現れた人物について、後に「別人だった」という指摘が出て、ネット上で謝罪も行われている。
もしそうであれば、話の構造は根本から変わる。2011年に予告した人物と、2016年に現れた人物が別なら、「予告どおりに現れた」という事実自体が成立しない。誰でも、予告された日に、予告された名前を名乗って現れることができるからだ。
そして匿名掲示板である以上、どちらが本物かを判定する手段は存在しない。これが先に挙げた「壁②」である。
本サイトの立場は、この点について判定を保留する、というものだ。別人だったと断定することもできない。ただし同一人物であることも証明できない以上、「予告を守って現れた」という前提に乗ることはできない。
「山に登れ」はどうなのか
最も有名な東日本大震災の件に戻る。
ここで問われるべきは、書き込みの日付ではない。震災の前に、あの文字列を「山に登れ」と読んだ人がいたのかである。
投稿された時点で、この文字列の意味は誰にも分からなかった。震災が起き、津波の映像が流れ、「高台へ逃げる」という答えを全員が知った状態で読み直され、そう読める、となった。
これは検証の順序が逆になっている。予言として機能するには、出来事の前に意味が確定していなければならない。後から意味を与えられる文字列は、どんな出来事にも合わせられる。
解読の仕組みはこうである。
yあ → や (y + あ)
間 → ま (「ま」と読む)
N意 → に (N + い)
埜 → の (「野」の異体字)
b於 → ぼ (b + お)
㋹ → れ (丸で囲んだレ)
つなげて や・ま・に・の・ぼ・れ
見事に見える。だが、この手順には任意の選択が何度も含まれている。「間」を「かん」ではなく「ま」と読む。「埜」が「野」の異体字だと知っている。アルファベットと仮名を混ぜて読む。どれも、答えを知っていれば自然に見え、知らなければ思いつかない種類の手だ。
しかも、あの並びから「山に登れ」を導く手順は一通りではない。同じ文字列から別の語を作ることもできる。選ばれたのが「山に登れ」だったのは、津波が起きた後だったからである。
本サイトはイルミナティカードやシンプソンズで同じ構図を検証してきた。曖昧な素材に、事後に意味を当てはめる。今回はその素材が、最初から読めない文字列だった点で、さらに徒である。
加えて壁①も残る。2010年11月の書き込みが震災より前に存在していたことを示す独立した記録に、本サイトはたどり着けていない。本物である可能性は十分にあるが、可能性は証拠ではない。
本サイトの見立て
整理する。
確認できたこと 2011年7月に予告されたのは登場日であり、地震ではない。4月15日当日に大地震は起きていない。5月17日の南海トラフ地震も起きていない。
判定を保留するもの 2016年に現れた人物の同一性。証明も否定もできない。
順序が逆なもの 「山に登れ」は暗号の事後解読であり、震災前にそう読んだ人は確認できない。加えて、書き込みが震災前に存在したことを示す独立した記録にも到達していない。
訂正するもの 本サイトの記述「2016年4月15日の大地震の予告」。予告の中身が事実と異なる。
この事例が示しているのは、予言が外れる仕組みではない。予言の中身が、語り継がれるうちに書き換わる仕組みである。
「登場日の予告」が「地震の予告」になるまでに、誰かが嘘をついた形跡はない。熊本地震という強烈な出来事の直後に予告日が来たため、二つが結びついただけだ。人は近接した出来事に因果を見る。記憶が思い出すたびに作り直されるのと同じ仕組みが、集団の記憶にも働く。
そして本サイトも、その書き換えを検証せずに取り込んでいた。246件を数え、判定を付けている側でさえこうなる。今回はそれを記録に残す。