経歴・人物
タシュンケ・ウィトコ(英語名:クレイジーホース)は1840年頃、現在のサウスダコタ州のブラックヒルズ付近でオグララ・ラコタ族の家庭に生まれた。若い頃から卓越した戦士・騎乗技術で頭角を現し、部族の守護者的役割を担うようになった。
1860〜70年代のアメリカ先住民戦争において、クレイジーホースはシッティング・ブル(ハンクパパ・ラコタ族)とともに最も頑強な抵抗指導者の一人として活躍した。1876年6月25〜26日のリトルビッグホーンの戦いでは、複数の部族連合軍を率いてカスター中佐指揮下の第7騎兵連隊を包囲・壊滅させた(カスターの最後の戦い)。
1877年、妻の健康悪化と部族民の飢餓を理由に降伏。同年9月5日、ネブラスカ州フォート・ロビンソンで拘留中に刺殺された(誰が刺したかについては諸説ある)。
彼に帰せられる「虹の戦士の予言」(先住民の子孫が物質文明から世界を救うために立ち上がる)は、1960〜70年代の環境運動・先住民権利運動と結びついて広まった。ただしこの「予言」の出典については、ホピ族・クリー族など複数の部族の伝承との混合が指摘されており、クレイジーホース個人の言葉として確認できる史料は存在しない。
「虹の戦士」はどこから来たのか
この予言の出自をたどると、意外に新しい年代に行き着く。文献上の初出は1962年に出版されたウィリアム・ウィロヤとヴィンソン・ブラウンの共著『Warriors of the Rainbow(虹の戦士たち)』である。二人はいずれも先住民の伝承を紹介する立場の白人著述家で、複数の部族の伝承を編み直して一つの物語にまとめた。
この本が公民権運動と環境運動の高まりに乗って広く読まれ、1971年に発足した環境団体グリーンピースの名称・理念にも影響を与えたとされる。以後「虹の戦士」は、部族の枠を超えた汎インディアン的な希望のシンボルとして定着していった。
問題は、この過程でクレイジーホースの名前が後から結びつけられたことである。彼は1877年に37歳前後で殺害されており、英語を解さず、自ら文字を残していない。演説の記録も同時代の一次資料には乏しい。「七世代後に…」という形で流布する言葉も、彼の死から80年以上を経た出版物を経由して広まったものであり、本人の発言として確認できる史料は存在しない。
なぜ彼の名が選ばれたのか
それでも彼の名が冠せられた理由は理解できる。クレイジーホースは、リトルビッグホーンで合衆国軍を破りながら最後まで居留地入りを拒み、写真を一枚も残さず(現存する肖像は後世の想像図である)、和平交渉の途上で殺された。屈服しなかった者、そして誰にも所有されなかった者——その像は、失われたものを取り戻す物語の語り手として最もふさわしく見えた。
本サイトの評価
本サイトはこれを「クレイジーホースの予言」として的中を問うことはしない。事前性が確認できない以上、判定は保留せざるを得ないからだ。
だが記録から外すこともしない。征服された側が、自らの尊厳を回復するために予言という形式を用いた——その営みは、当たる当たらないとは別の次元で歴史的な事実だからである。予言は未来を語る道具であると同時に、奪われた過去を語り直す道具でもある。彼の名に託された言葉は、そのことを最もよく示している。
収録予言(1件)
本サイトに記録したクレイジーホース(タシュンケ・ウィトコ)の予言を、成就状況の判定・原文・検証つきで掲載しています。
イーグルと熊の最後の戦い(ネイティブ・アメリカン)
不明ラコタ族の戦士クレイジーホースが語ったとされる幻視。先住民族の子孫たちが先祖の知恵を取り戻し、物質主義の蜘蛛の巣から世界を救うために立ち上がる「虹の戦士」の時代を予言した。
There will come a time when the earth is sick and the animals and plants begin to die. Then the Indians will regain their spirit and gather people of all nations, colors and beliefs... ──(原語:ラコタ語)
出典:クレイジーホースの幻視(ラコタ族)
- Lee Brown「Children of the Earth」
- 虹の戦士の預言(複数バージョン)
参考文献・出典
- Dee Brown「Bury My Heart at Wounded Knee」
- Mari Sandoz「Crazy Horse: The Strange Man of the Oglalas」