経歴・人物
高島嘉右衛門(たかしま かえもん)は1832年2月4日、江戸に生まれた。幕末に商人として活躍し、横浜で茶・生糸の貿易業を営んで財を成した。しかし事業上のトラブルから1870年代に投獄される事態となり、獄中での長い待機時間を利用して「易経(周易)」の研究に没頭した。
釈放後、高島は易経の深い研究に基づく独自の占断法「高島易断」を体系化し、横浜の屋敷で鑑定を行うようになった。その的中率の高さが口コミで広まり、やがて伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・松方正義ら明治政府の最重要人物が顧客となった。
日清戦争(1894〜95年)の予言が特に有名で、開戦前後に「乾為天(けんいてん)」などの卦を立て「日本必ず勝つ」と断言し、実際に日本が清国に圧勝したことで名声は頂点に達した。さらに日露戦争(1904〜05年)にも易卦を立て日本の勝利を予言し、日本海海戦での大勝利と符合したとされる。
高島が著した「高島易断」(全集版)は明治期の出版物として広く読まれた。彼の後継者たちは「高島易断」の商標のもと、現在も日本各地で占い・暦・カレンダーなどを発行し続けており、「高島易断」という名称は日本人に広く知られている。1914年3月16日、82歳で死去。
易断という方法
高島の占断は、中国古代の『易経』に基づく。筮竹を操作して六本の爻(こう)を立て、六十四卦のいずれかを得て、その卦辞・爻辞を現在の状況に読み解くという手順である。占星術のように天体の位置を計算するのでも、霊感で映像を見るのでもない。あくまで古典テキストの解釈行為であり、そこには解釈者の力量と裁量が大きく介在する。
高島の特徴は、この解釈に当時の国際情勢や経済の実務知識を大胆に接続した点にあった。貿易商として世界を相手にした経験があり、政財界の要人と日常的に接していた彼は、卦を読むと同時に現実の情報も読んでいた。それが「よく当たる」という評判を生んだ一因と考えられる。
伊藤博文と満州行き
高島をめぐる逸話で最も知られるのが、伊藤博文の暗殺に関するものである。1909年、満州へ渡ろうとする伊藤に対し、高島が卦を立てて凶と出たため渡航を思いとどまるよう進言した——しかし伊藤は聞き入れず、ハルビン駅で安重根に射殺された、という話が伝わる。
ただしこの逸話は、伊藤の死後に語られた記録に依拠しており、事前に警告がなされたことを示す同時代の一次資料は確認されていない。日清・日露戦争の予言についても、彼の名声が確立した後に編まれた記録が中心であり、「事前に、この文言で」という形での検証は困難である。
「高島易断」という名前のその後
現在も書店には「高島易断」を冠した暦本が並ぶが、注意すべき点がある。高島嘉右衛門本人や直系の後継組織とは無関係な団体が、同名を用いて出版・鑑定を行っている例が多数存在するのである。名称をめぐる訴訟が起きたこともあり、消費者庁が高額な鑑定料をめぐる注意喚起を行った事例もある。
創始者の権威が名前だけ独立して流通し、実質と切り離されていく——これは予言者の名がブランド化したときに繰り返し起きる現象である。
本サイトの評価
本サイトは高島嘉右衛門を、近代日本において予言・占断が国家の意思決定に最も接近した事例として記録する。伊藤博文や山縣有朋といった元勲が易者に助言を求めた事実そのものは、明治という時代を理解するうえで興味深い。
一方、個々の的中譚については事後の記録に依存しており、判定は慎重にならざるを得ない。日清戦争の勝利予言も、当時の日本国内で開戦論が高まっていた文脈を考えれば、卦の解釈に時代の空気が反映された可能性を排除できない。彼の名声は「未来を見た」ことよりも、「現在を的確に読んだ」ことによって築かれたのではないか——それが本サイトの見方である。
収録予言(2件)
本サイトに記録した高島嘉右衛門の予言を、成就状況の判定・原文・検証つきで掲載しています。
日清戦争における日本必勝を易断で予言
成就「高島易断」の創始者・高島嘉右衛門は日清戦争(1894〜95年)開戦前後に「乾為天(けんいてん)」の卦を立て、「日本必ず勝つ。清国の気は衰えており、勝負にならない」と断言したとされる。実際に日本は短期間で清国に圧勝し、1895年4月の下関条約が締結された。伊藤博文・山縣有朋ら明治政府の要人にも占卦を示したとされる。
乾為天の卦。日本の運気は天の如く高く、清国の気はすでに衰えたり。戦わば必ず勝利を収めるべし。疑うなかれ。 ──(原語:日本語(漢文体))
出典:高島嘉右衛門による占卦(明治27年・1894年)
- 高島易断(高島嘉右衛門著・明治期刊)
- 高島嘉右衛門伝記(明治易学研究会)
日露戦争・日本海海戦での日本勝利を予言
成就高島嘉右衛門は日露戦争(1904〜05年)に際しても易卦を立て「日本が苦難の末に勝利を収める」と予言した。特に1905年5月の日本海海戦(東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊を壊滅)での大勝利と、ポーツマス条約による日本の優位的講和が的中とされる。晩年の予言で生涯最大の実績のひとつとされる。
苦難の卦あれど、最終的には日本が勝利を収める。天の加護、日本の旗に輝くべし。ロシアの侵略を退け、新たな夜明けを迎えよ。 ──(原語:日本語(漢文体))
出典:高島嘉右衛門による占卦(明治36〜37年・1903〜1904年)
- 高島嘉右衛門伝(明治期刊)
- 高島易断全集
参考文献・出典
- 高島易断(高島嘉右衛門著・明治期刊)
- 高島嘉右衛門 - Wikipedia